41歳で不妊治療を始めた私の記録|病院選びから採卵まで

私は41歳で、不妊治療を始めました。

でも、本当に時間がないと思って、本格的に治療を始めることを決めたのは40歳の10月ごろです。

37歳の時には、将来のために未受精卵を7個凍結していました。
それでも41歳になった私は、その卵子をすぐに使うのではなく、もう一度採卵をすることになりました。

この選択が正しかったのかは、今でも簡単には言えません。

ただ、あの時の私は、待つだけではなく、自分の人生のことを自分で考えなければいけないと思っていました。

これは、不妊治療を始めた理由と、病院を選んだこと、採卵までの記録です。

治療の方法や使う薬、必要な検査は、年齢や身体の状態、病院によって異なります。ここに書くのは、あくまで私の場合です。

目次

40歳の秋、私は彼に泣きながら言った

彼と子どものことを話したのは、40歳になってからが初めてではありません。

それより前から、ぽつぽつと話していました。

38歳ごろには、

「タイミング法を試してみよう」

と話したこともありました。

一緒にやってみようと決めても、彼の気持ちが追いつかなくなることがありました。

私は彼の弱さや脆さも知っていました。

子どもを持つことは、無理やり相手に求めるようなことではない。
そう思って、私は待っていました。

でも40歳の10月ごろ、とうとう泣きながら言いました。

「本当に時間がない」

「私はこんなに待った」

年齢のことを考えると、私はもう、ただ待ち続けることができませんでした。

彼には離婚歴があり、元妻との間に子どもがいます。

すでに子どもを持つ経験をしている彼に対して、

「あなたはもう経験しているじゃない」

と思ってしまうこともありました。

もちろん、彼の気持ちも考えました。
彼の子どものことも考えました。

でも、それと同時に、

私は私の人生について考えてもいいんじゃないか。

そう思うようになりました。

私は、自分の子どもを産んで育てたいと思った

私は結婚そのものが目的だったわけではありません。

私がしたかったのは、自分の子どもを産んで、育てることでした。

当時、妹は無排卵の状態で、姉は子宮がんを経験していました。

両親に孫を見せたいという気持ちも、私にはありました。

ある日、母が私の大切な猫を抱きながら、

「やこちゃんに似てるねぇ」

と言いました。

その言葉を聞いて、私は泣きました。

やっぱり私は、自分の子どもを産みたい。

育てたい。

子どもを産み育てて、社会に返したい。

そう思いました。

最終的に彼は、私の気持ちを尊重してくれました。

そこから私は、不妊治療へ進むことになりました。

病院は、37歳で卵子凍結をしたところを選びました

不妊治療の病院は、37歳で卵子凍結をした時と同じところを選びました。

姉も同じ病院で卵子凍結をしていたので、私にとってはもともと馴染みのある病院でした。

一度自分でも採卵を経験していて、病院の流れが分かっていたことも大きかったです。

私の家からは、病院まで片道2時間弱かかっていました。

不妊治療は通院回数が多いので、近い病院のほうがいいのかなと思うこともありました。実際、距離が遠いことで診察に行けなかったこともあります。

でも、治療方針や、先生・スタッフとの距離感、院内の空気は、思っている以上にメンタルを左右します。

私はこの病院の、いい意味で事務的なところが自分に合っていました。

必要以上に踏み込まれず、でも聞きたいことがあればきちんと聞ける。

だから41歳で不妊治療を始める時も、私はほかの病院を探しませんでした。

通いやすさはもちろん大切です。
でも、距離だけでは決められないこともあるのだと思います。

37歳で残した卵子があった。それでも、もう一度採卵することになった

治療を始めるにあたり、彼と一緒にカウンセリングや説明を受けました。

私たちは法律婚ではなかったため、病院から指定された書類も提出しています。

そして私は、37歳の時に未受精の状態で凍結していた7個の卵子について、先生に相談しました。

「じゃあ、凍結してある卵子を受精させて……」

そんなふうに考えていたと思います。

その時に先生から言われたのが、

「まずは保険でいいんじゃないですか」

という言葉でした。

私はその説明を聞いて、

「それなら、まずは保険でやってみよう」

と思いました。

結果として、37歳で凍結していた未受精卵は使わず、41歳の私はあらためて採卵することになりました。

この時、PGT-Aについても説明を受けていました。

PGT-Aは、受精卵の染色体について調べる検査のひとつです。

私は、まったく知らなかったわけではありません。説明を受けて、自分で書いたメモも残っています。

ただ、今の私が知っていることや、今の私が考える重さまでは、当時の私は分かっていなかったのだと思います。

その後、私は妊娠し、NIPTで21トリソミー陽性となりました。羊水検査でも21トリソミーであることが分かりました。

だから今、PGT-Aについて考えることがあります。

それでも私は、「PGT-Aをしていれば、今回のことは起きなかった」とは書きません。

あの時の自分を責めたいわけでもありません。

ただ、選択肢の意味をもう少し深く理解してから、治療方法を選びたかった。今はそう思っています。

41歳の採卵は、37歳の時とは少し違いました

37歳で卵子凍結をした時は、たくさんの注射をしました。

アンプルから薬を注射器に吸い、自分で注射する方法も経験しました。

41歳の採卵は中刺激で進めました。

クロミッドやゴナールエフなどを使い、37歳の時と比べると、注射の負担は少なく感じました。

自己注射もペン型になっていて、

「前とはずいぶん違うな」

と思ったことを覚えています。

採卵周期に入る前には、生理の日を調整するための薬も飲みました。

その時期、一度だけ、夜中に今まで経験したことがないような気持ち悪さで目が覚めて、ベッドから出たところで倒れたことがあります。

身体が動かなくて、

「救急車を呼ばないと」

と思いました。

でも、スマートフォンに手を伸ばすことすらできませんでした。

これは、私がその薬を飲んでいた時期に起きたことです。薬が原因だったと医学的に確認されたわけではありません。

ただ、あの夜の怖さは覚えています。

41歳の採卵で、15個採れました

そして採卵の日。

採れた卵子は15個でした。

37歳で卵子凍結をした時は22個採れていたので、最初は、

「前より少ないな」

と思いました。

でも41歳でした。

しかも今回は、37歳の時とは治療方法も違いました。

「こんなものなのかな」

と思いながら、それよりも、この15個がこの先ちゃんと育ってくれるのかが気になっていました。

採れた数だけでは、まだ何も分からない。

37歳で卵子凍結を経験していた私は、そのことを知っていました。

採卵後は、今回もかなり痛かったです。

お腹が痛くて、歩くのもつらくて、帰る時にはかなり苦悶の表情だったと思います。

お腹も膨らみました。

私は採卵後に強い張りや膨らみを経験しましたが、OHSSと診断されたわけではありません。

採卵後の痛みや身体の変化については、別の記事に詳しく残しています。

15個の卵子は、8個の胚盤胞になりました

41歳で採卵した15個の卵子。

15個すべてが受精するわけではないし、受精しても、すべてが胚盤胞まで育つわけではありません。

結果が届くまで、私はできるだけ期待しないようにしていました。

最終的に、15個のうち11個が受精し、8個を胚盤胞として凍結することができました。

41歳で採卵して、8個の胚盤胞が残った。

その時の私は、次へ進めることにほっとしていました。

ここから、胚移植へ進みます。

15個の卵子が、受精して、胚盤胞になるまで。
その詳しい経過は、次の記事に残しています。

→ 採卵15個から胚盤胞8個|41歳の採卵・受精・胚盤胞の結果

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

不妊治療、妊娠と喪失、子どもを迎えるための準備、仕事、資格、旅。
選んで、つくって、生きていく途中の記録を、YACO LAB.に残しています。

※このブログでは、当時のメモや写真を見返しながら、過去の出来事も時系列に沿って記録しています。
記事の公開日と、書いている出来事の日付が異なる場合があります。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次